僕は小学校、中学校までは普通に生きていたと思います

普通って何かっていうのは個人の感覚ですが、特別いいことも悪い事もなく

学校で勉強して習い事してクラブ活動や部活をして友達と遊んで女の子を好きになって

それなりに上手くやっていたと思います

高校に入ってからでした

環境が変わって馴染めなくて学校に行かなくなりました

虐められたわけでもないですしクライスメイトや先生も気にかけてくれました

誰のせいでもありません、誰が悪いかと言ったら自分のせいです

今でも申し訳ないです

その後は不安からか鬱と強迫性障害になって毎日苦しい日々を過ごしていました

学校は休学のちに退学

病院に通ったりした時期もあったけどそれもままならなくなり

強迫概念にさらされる毎日でした

昼夜は逆転生活リズムはガタガタ

人間の屑、人生のどん底、死ぬしかない、何の希望もない

そんなことばかり考えていました

死ぬことも何度も考えましたが自分は死ぬ勇気なんて持ち合わせていませんでした

屑の臆病者でした

絶望的な気持ちで夜に目覚めて

絶望的な気持ちで朝を迎える

なんの希望もなくてとても視界が狭くなったようなあの感覚は今でも忘れられないです

 

あるきっかけが訪れました

きっかけなんて表現を使っていいのかわかりません

誰もここを見ないでしょうが表現が適切でなかったら申し訳ありません

そのきっかけは東日本大震災でした

一瞬で生活環境が変わりました

電気水道ガスのライフラインが止まり余震が続きました

水が出ません

お風呂に入れません

手も洗えません

トイレも流せません

地震の起きる前から強迫性障害の症状である不潔強迫に一日中追いかけまわされていた僕です

水が出ない環境は僕にとって恐ろしいものでした

それでも緊急事態です

家族の迷惑になりたくなくて必死に過ごしていました

 

すると思い浮かんだことがありました

「強迫概念に逆らっても生きていられているじゃないか?」

地震の回数が少しずつ減っていきライフラインが回復しました

その後も強迫症状は続きましたが

少し考え方が変わった自分がいました

 

「人生行ける所まで行ってみよう」

数年ぶりに美容室で髪を切り

ランニングや筋トレをしたり

高卒認定試験の勉強を始めました

高卒認定資格を取得後、次の年にセンター試験の勉強も始めました

強迫性障害の症状はまだ残っていましたし社会への不安も残っていたので

塾に通うのは出来ませんでした

そこでまた通えなくなったり躓くのは嫌でした

幸いにも教材は頂いたもの等があったので独学で勉強を続けました

我ながら頑張りました

 

今大学生をしています

自分では強迫性障害は完治したと思っています

あのきっかけがあったからです

今でも臆病者で人間の屑であると思います

でも少しずつ海の底から海面へと昇っています

海から揚がれるかは分かりません

「人生行ける所まで行ってみよう」

 

そんな人間です

行き止まりまで行けるかな